発達障害の息子の成長と躁鬱とパニックと

息子の事。日々の愚痴などを書いていきます。

鬱になった経緯

自分が壊れた時、3月の忙しい時期。ある案件があるから打ち合わせをと言われていたのだが、別件の仕事で打ち合わせに参加出来なかった。

当時の課長のみが打ち合わせに参加して、詳細はそんなには詳しく教えてもらえなかった。引き受けたからにはやらなければいけない。そんな気持ちで仕事に入った。

仕事が進むにつれてどうやってもスケジュール通りに行くはずもない追加の作業を入れてくる。最初の打ち合わせでどんな話をしたのか、ありえないスケジュールを言われ急ぎ仕事をするなか課長から「お前に振ったから俺は楽が出来る」と訳の分からない事を言われ毎日深夜残業、挙句に徹夜明けに別の作業を入れられる。

周りは誰も手伝ってくれず、さすがに限界だと感じ課員全員にメールで「助けてくれ」と送信したが無視。仕方なく一人で黙々やっていたら、だんだん16時30分ぐらいになるとすごい耳鳴りがするようになってきた。再度当時一番偉い人を巻き込んで「もう1人では出来ない。助けて欲しい」と相談するとようやく助けが来るようになった。

でも時はすでに遅く、毎日16時30分が来ると周りの音が聞こえなくなり、仲間がいう事が理解出来なくなっていた。1時間ぐらいすると元に戻るのだが明らかにおかしくなっていた。ようやくプロジェクトが終わり、他の仕事を終えた時に一気にそれまでの疲れが出たのか、作業終了の電話をしていた時泣いていた。ものすごい恐怖感と戦いながら事務所に戻り、精神病院にいかせてくれと懇願した。当時病院は混んでいて2週間先でないと予約が取れない状態だった。会社に事情を説明し、2週間休みをもらい通院することになった。

でもまだ3月にやっていたプロジェクトは終わっておらず、難癖をつけて作業をしていたようだった。結局自分にまかせっきりだったから分かるものは少なく自宅療養している時でさえ電話がひっきりなしに鳴り少しも休まらなかった。流石に声を聞きたくなかったから「全部メールにしてくれ」と頼んだ。ただの苦痛でしかなかった。

診察を受け会社に復帰したのだが、普通に仕事をこなしているとものすごい震えと恐怖がよみがえり仕事どころでは無くなった。そこから自分は休職することになった。

休職中は何もやる気が起きず、朝から晩までトイレ以外は布団に横たわり何も出来なかった。本とかゲームとかやる気にもならなかった。テレビを見る気もなかった。今となっては入院すれば良かったと思っている。不思議と死にたい気持ちは無かった。

休職期間を終えて、仕事に戻ったのだが以前のようには戻らなかった。やる気が無くなっていた。集中力が無くなっていた。ありえないミスをしたり、仕事をしなかったりした。まあサポートに回ることになったのだが人手が足りないから、作業に出ることもあった。サポートに集中しようと思った所、中途採用でサポートの人間が入ってきた。当然自分の仕事がなくなるわけで自分の立ち位置がわからなくなった。

部長に呼び出され「少しずつでいいから前の仕事に慣れるように」ってそれが出来なくなったからサポートに回ったのに今更そんな事をいうか?もうダメだと思った。自分の存在を消したいと思ったのはその頃から続く。「2年以上たつのになんでそんなこともできないんだ」出来ないんだよ。なればわかるよ。「元に戻れなければ後はないから」そんなことも言われた。きわめつけになったのは、片道3時間かかるところへ応援に出された事。比較的落ち着いていた状態も悪化しておかしくなっていた。最終的に「ここで続けるのか他に移るのかどっちだ」と言われ他に移る事を迷わず選択した。

移動が決まった後も人間扱いせずに引き継ぎも何もなくひたすら地方の出張に出された。「これも引き継ぎのうちだから」と訳の分からない事を言われて。出張費に関しては俺が出すからと当時の部長が言っていたのだが、乗り間違いで160円多く請求したら「そんな乗り方ありえないだろう。なんでそんな乗り方するんだよ」と言われた。なんてセコイ男だと思った。

当時の部長の下では、とてもじゃないがやっていけないと感じたから良い選択をしたと思う。会社にはもう恨みは無いが、当時の部長と当時の課長には恨みがある。死ねばいいのにと思っている。

ちなみにプロジェクトは大赤字でしたよ。当たり前か(笑)

鬱、パニックになってから5年以上経つがまだおかしくなることがある。長い付き合いだ。浮き沈みの激しい人生になっている。治らないんじゃないかと不安にもなる。

まあ焦らず、マイペースで行こうと思う。